« 対立を超えるために | トップページ | 社会を変えるということ »

2007年8月20日 (月)

環境問題2

 「環境問題について発言する障がいを持つ人が少ないので、遊歩の考えをもっと伝えた方がいいよ」と励ましてくれる友人がいた。障がいを持っていると、何故か環境問題に発言する余裕が無いというふうに見られるし、実際ほとんどの人が管理され、与えられた生活を強いられているわけで、他の事を考える余裕は無くなるのだろう。しかし、私の実家は福島にあって、福島には日本で最も古い原子力発電所が10基も稼動している。日本全体にある原発の実に5分の1近くが福島に集中している。その上、高速道路の東北自動車道は六ヶ所村の再処理工場に向かう放射性廃棄物・いわゆる核のゴミが時々走っていると言う。もし、そのトラックが事故を起こしたらか、原発が事故ったらと考えると、ココロもカラダもドーーンと重くなる。

 その上、新潟の柏崎原発に地震がきた。柏崎原発は世界最大出力の原発で、地元の人はどんなに不安だろうかと思う。放射能漏れが起きたら、大気にばら撒かれ、東京はもちろん、日本中世界中に被害が及んでいく。今のところ、凄まじい事故は無かったように言われているが、原発の怖いのは構造上停止している間も完全に動きが止められない点だ。この瞬間でさえ、「停止中の原発から凄まじい放射能が漏れ出しました」というニュースが流れやしないかと気が気ではない。チェルノブイリのその後もコンクリートで事故が起きたところを塗り固めはしたが、いつ放射能が漏れ出さないとも限らないので、監視がずっと続いている。使えないものに膨大なお金をかけて監視しなければならない。そんなものに私たちはいつまで執着するのだろうか。

 更に恐ろしいのは、六ヶ所村再処理工場だ。どう考えても、あまりに非合理的だ。海や空気を徹底的に汚染する原子力発電所300基分から出る放射能を1日で出してしまうというから、驚きだ。(記憶が定かではないが、もしかしたら3000基分だったかもしれない)とにかく、トリチウムやセシウムなど恐ろしげな名前の放射能が青森や福島の海からだけではなく、既に千葉の海からも試運転の現段階で検出されている。

 原子力発電が地球温暖化を止めるかのように言われたりもするが、それはまったくのウソである。なぜウソかを理論的に延々とここに書くことは出来ないが、私には放射能がどんなに危険かを実感してきた歴史がある。とにかく、地球温暖化もあまりに怖いが、日本の原発はある意味もっと怖い。核爆弾がないことに日本はなっているが、実のところ大量の核爆弾をすぐに作れるくらいのプルトニウム(広島型原爆の40万発分)が既にあるという。地球を何十個も爆破出来るだけの量だ。

 こんな話を食事の時にしていたら、娘に酷く怒られた。「絶望感や罪悪感を振りまくような話は止めて!私たちの未来をどう思ってるの?私たちの未来に希望が持てるようにして!」まったくその通りなので言葉無くうなだれた。障がいのある無しに関係なく、環境問題はギリギリのところに来ている。この猛暑でもうちでは一度もクーラーを付けなかったし、先日レストランに友人たちと10人くらいで食べに行った時は10人分の箸を持参した。自分の家で出来ることはやれる限りやっている。次は何をしたら良いのか、皆で考えて欲しい。娘も自分で地球温暖化や環境問題を止めるための本を作ってみようかなと考え始めている。原子力情報資料室という脱原発の運動をずっとリードしてきた組織がある。原発についてもっと知りたい人は是非そちらのホームページを見て欲しい。

|

« 対立を超えるために | トップページ | 社会を変えるということ »

コメント

初めまして。貴書や生活と自治等で、安積さんの率直で前向きなお考えに大変興味を持っております。HNぴょんです。

「絶望感や罪悪感を振りまくような話は止めて!私たちの未来をどう思ってるの?私たちの未来に希望が持てるようにして!」
と言われた娘さんのお気持ちがよく解ります。

私の父は原子力研究員でした。ですから幼少の頃より母も含めて議論をしたり、質問をよくしておりました。

安積さんのお気持ちも解ります。

チェルノブイリ原発事故の時も、父は、日本の研究員一員として、すぐに現地に飛びました。
そして現地の事故調査研究に、国際会議での今後の安全についての会議等、普段の仕事もさることながら、いつも仕事に対して真面目な父でした。

子供の頃から、節電について、教え、注意し、無駄な電気を使わないように、無駄なゴミを増やさないように一番教育してくれたのも、他でもない父です。
エネルギーが有限で、万能でもない事を誰よりも知っていたからです。

ヨーロッパ等欧米諸国に住んだ方はお解りかと思いますが、日本という国は、水がタダという意識をもつような、比較的自然に恵まれた歴史のせいか、国全体のエネルギーに対する意識が全然違います。

欧米は、夜は暗いもの、という考えが一般的です。夜は、だから日本の様に照明もギラギラとしていませんし、一般家庭も、手元や相手の顔がぼんやり見える程度の、暗い間接照明が主です。

エネルギーがなければ、私たちの生活が成り立たないのを良く知っているのは、一体誰なのでしょうか。

原発に携わる人々が、さんざんマスコミや民間からたたかれて、それでも神経を使う仕事ゆえ、気も抜かずに、真剣に仕事をしているお陰で、日本の総エネルギーの3分の1が、自給出来ているのです。
ほかの(火力・水力)エネルギーは、コストがかかって、消費電力にするまでには追いつかないのが現状です。
しかも、それら「火力・水力を発電させるための電気エネルギー」が、これまた膨大なものです。そのため、効率は低い。

水も、空気の浄化や温度調節も、火や、熱利用も、電気となれるエネルギーがなければ、わたしたちは使う事さえ出来ません。
すべての基本に「エネルギー」というものが支えてくれているのです。

その電気となるエネルギーを支えている原発を、享受しつつ、悪いもののようにだけ言っている人達があまりに多い昨今です。
そういう脱原発と言っている人達が、どれほど「エネルギー」に対して「優しく、安全な」対応をしているのか、と、苛立ちさえ感じます。

少し節電生活を試みたくらいで、大騒ぎして、じゃんじゃん飲み食いしては暮していたり、テレビや車や洗濯機を止めようとはしません。病院にも通います。
それがすべて悪いわけではなく、矛盾が多すぎて、エネルギーに対して実は、「享受し」「支えられ」「共存」している事にすら、気付いていないのが問題だと感じるのです。

エネルギー研究や発電に携わっている、全ての人たちの心情も考えなくては、原発縮小は必須です。
理解されず、たたかれてばかりで、やる気の持続する人など、いないからです。否定されてばかりいれば、ミスや失敗も増えると思います。
萎縮し、自己否定し、自殺する若い社員も多いと聞きます。

研究員や作業員をこのままいじめていれば、若い人も継承せずに、将来おそらく日本はエネルギーを自給できず、海外から買うはめになるでしょう。
そして、鈍感なお金持ちの人たちは、日本に原発のあったあのころは、すべてが安くて生活し易かったなどと文句をいうのでしょう。

私は、自分のそういう考えを、若い人に、本当のこととして伝える大人でいたいと、常日頃思っております。
私は未婚で子供はおりませんが、そういう若い人との議論をいつまでもやっていくことに、一番の意味があると思います。

稚拙で差し出がましい文章になりましたが、私の一意見として述べさせて頂きました。

これからも、安積さんのご活躍を願っております。

投稿: ぴょん | 2007年9月30日 (日) 23時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/81608/7608382

この記事へのトラックバック一覧です: 環境問題2:

» 愛馬の会 [楽しみ場]
[続きを読む]

受信: 2007年8月20日 (月) 16時37分

« 対立を超えるために | トップページ | 社会を変えるということ »