横田さんとの対談を終えて
援助為センター発足以来10年のなかのイベントとしては最大規模の人数を集めて、横田さんと私の対談講演が6月18日に行われた。
援助為センターでは、市民セミナーや地域で生きるための「いっぱい手伝ってもらって楽しく暮らそうよ」、さらには、ピアカウンセリングや「見せて、教えて」などの様々なイベントを行ない、地域で障害を持つ人が暮らすということの大切さを啓蒙してきた。
その一貫としてこの対談を開催したのだが、日本に障害を持つ人の運動が始まって約4、50年。その創始者の一人である横田弘さんと、障害を持つ女性として果敢なリーダーシップを取りながら、同じ障害を持つ娘を産んだ私の対談は、障害を持つ仲間たちの圧倒的な関心をひくことができた。
会場には、あふれるほどの車イスユーザーが集まった。
また、若い学生たちも多かったし、介助に関わっていながらしばらく顔を見せていなかったボランティアや友人たちなど、懐かしい顔も多く見られた。
計120人くらいの聴衆は梅雨の悪天候にもかかわらず、主催者側の私たちでさえ驚嘆したほどだった。
そもそも私の障害者運動の原点は、福島の「青い芝の会」の人たちとの出会いにある。
「青い芝の会」は、障害を持つ人たちの中でも特に重度の障害とされる脳性まひ者の人たちが中心の会で、私は彼らと20歳から28歳までの日々のうち約7年間を共に活動した。(約1年は、アメリカの研修や、そのためにあちこちに出かけたりしていて不在であったと思う)
特に22歳からは、福島県の「青い芝の会」のリーダーシップを取り続けた橋本さんと同棲生活を行ないながら、県内の障害者運動をリードし続けた。
運動の中核的理論は、高度経済成長の中を邁進していた日本の中にあって、生産性と人間の尊厳は全く比例しない別物であることを前提に、横田さんの書いた4大綱領に基づいたものだった。
4大綱領の内容はこの講演会の報告集に詳しいので、ここでは書かない。
しかし、この4大綱領の先進性は今更ながら鋭いものがあると、横田さんに、そして「青い芝の会」の仲間たちに感謝したくなる。
とくに4大綱領のうち私が好きなのは、「我々は脳性まひ者として、問題解決の道を選ばない」というものがある。
一見すると、非常に破壊的で恐そうな文章であるが、障害を持つ私たちが置かれている状況の中で問題解決の道を選ぶということは、恐怖と非合理性で身動きが取れなくなってしまうという可能性がある。
1978年以来養護学校が義務化された中で育った若い障害を持つ人たちは、健常者中心の社会秩序の中でお行儀よく問題解決の道を選ばされてきたために、怒りと悲しみの情念が失速し続けている気がする。
そのために、仲間とつながっていくというもっとも大事で現実的な必要性から遠ざけられ、孤立感が一層深まっているように見える。
また、これは脳性まひ者ということとは全く別な話ではあるが、今の経済状況の中にいる私たちの全ては消費至上主義や経済効率至上主義に追いまくられ、環境問題を解決しなければ地球環境の持続は危ないとされている状況にある。
その状況を解決するためには、すでに問題解決の方策を選んでいる暇はないのではないかという気さえする。
とにかくいわゆる先進国に住む一人ひとりの人間が、自分のできるところからやれる全てのことを行なうという主体的な取り組みがない限り、障害を持つ人はもちろん、障害のない人さえも地球環境の破壊を止められないのではないだろうか。
横田さんは、「地域」という言葉より、「隣近所」という言葉が好きだと言っていた。
確かに、「地域」という言葉には更なる管理の匂いがつきまとう。
とくにさまざまな制度や法人等の施設によって主体性や発想の独自さを切り取られ続けてきた昨今、それを打ち破るには「隣近所」という声が掛け合え、具体的に助け合える人間関係だろうし、問題に対して解決を図るための思考だけではなく、具体的なまず行動であるだろうと、久しぶりに横田さんの話を聞きながら思ったのだった。
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