2009年1月 8日 (木)

サイトリニューアルしました。

サイトをリニューアルしました。

新サイトアドレスはasakayuho.comです。

これからは、そちらに書きます。

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2008年12月24日 (水)

新サイトアドレス

新しいサイトに移行しました。
以下をご覧下さい。

http://asakayuho.com/

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2008年10月26日 (日)

佐藤喜美代さんの講演会について

 私の大切な友人を北海道から講演会をしてもらうために呼ぶことになった。

 友人の名は佐藤喜美代さん。

 彼女はベンチレーター(人工呼吸器)を使用して日本で初めて自立生活を始めた人だ。

 病院から出て、自立生活がそれなりに軌道に乗ったころ、私は「遊歩、地域に出て自立して、私何をすればいいのかな?」と相談を受けた。「介助者を使ってここで生きているだけでも十分だけど、自立生活運動は、仲間をオーガナイズすることがとても大事だから、ベンチレーターをつけて自立しようとする人を応援する会を作ってみては?」と提案。彼女はただちに実行し、今ではベンチレーター使用者ネットワークとさっぽろの自立生活センターと、どちらも代表として活動している。

 また、彼女は詩人でもあり、絵描きでもある。

 彼女が東京に来るには、寝たきりの状態で飛行機に乗るために往復12万もの巨額な交通費がかかる。このことについても彼女は果敢に国や航空会社と交渉してきた。今回はこの巨額な交通費を、私たちの援助為センターと、北区のCILが折半で持って来てもらうことになった。

 私と彼女は少し前、朝日新聞の「人脈記」というコーナーに二人で登場した。私も彼女も、それぞれの娘との写真入りで記事になった。私は彼女が自立生活を始めた時から、様々な場面で深く関わってきた。特に子育てについては、可愛い子をフィリピンから彼女に紹介するという難事もしてのけた。彼女は彼女の恋人と一緒に子育てを楽しんでいる。私はどんなに子育てというものが大変かわかっていたにもかかわらず、彼女にそれを勧めた私自身の本音の中に、「一緒に子育てのしんどさを語れる重い障害を持った仲間がほしい」という思いがあった。

 今回はベンチレーターを使用しながら地域で自立することの豊かさや、さまざまな活動、そして子育てを縦横無尽に語ってもらおうと楽しみにしている。

 ぜひ多くの方が来場してくださることを心待ちにしている。

日程 : 11月1日()  13:30~16:30

場所 : 国立市総合体育館 2F

参加費 : 無料

連絡先 : 042-572-3767 

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2007年11月 8日 (木)

社会を変えるということ

チェ・ゲバラのこと

 今年はゲバラ没後40周年ということで、ゲバラに関する情報をよく目にする。私も10代の頃からずっと気になっている人だったので、ビデオや写真集を観たり、著作を読んだりしている。
 ゲバラも2歳の時から喘息を持ち、それとよくよく闘いコントロールしながら、一人の人が生きられる可能性の限りを生きた人だと言える。
 この世の分類に従って、彼の肩書きを挙げれば、自由と放浪を愛する医学生に始まり、写真家、活動家、医師、キューバ革命後は国立銀行総裁や工業大臣、国連特使などを歴任。哲学も芸術にも造詣が深く、数々の著作も著している。その中でも彼が自らをアイデンティファイしていたのは、”革命家”である。彼は、彼の様々な才能を、その一つ一つの専門性を追及するためには使わず、社会のシステムを根本から変えるために使った。その大いなる成果がキューバ革命である。
 私は幼い時から骨折や医療関係者との葛藤に苦しみ続けたが、特に辛かったのはスペシャリストという人たちが自分の専門性に固執する余り、社会の抑圧やシステムの不正を見失う傾向があるということだった。ゲバラが医師でありながらも、その才能を一人の患者を診ること以上に、社会全体を正すことに使ったことを思う時、私は心から感動する。自分にも厳しく、他人にも厳しいが、誰に対しても公平で、非常に愛情深い人だったという。
 私も社会を変えたいと切に切に願い、行動し続けてきた。その私の思いが、ゲバラの生き方とどこかでつながっているのだと著作を読みながら共感している。
 

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2007年8月20日 (月)

環境問題2

 「環境問題について発言する障がいを持つ人が少ないので、遊歩の考えをもっと伝えた方がいいよ」と励ましてくれる友人がいた。障がいを持っていると、何故か環境問題に発言する余裕が無いというふうに見られるし、実際ほとんどの人が管理され、与えられた生活を強いられているわけで、他の事を考える余裕は無くなるのだろう。しかし、私の実家は福島にあって、福島には日本で最も古い原子力発電所が10基も稼動している。日本全体にある原発の実に5分の1近くが福島に集中している。その上、高速道路の東北自動車道は六ヶ所村の再処理工場に向かう放射性廃棄物・いわゆる核のゴミが時々走っていると言う。もし、そのトラックが事故を起こしたらか、原発が事故ったらと考えると、ココロもカラダもドーーンと重くなる。

 その上、新潟の柏崎原発に地震がきた。柏崎原発は世界最大出力の原発で、地元の人はどんなに不安だろうかと思う。放射能漏れが起きたら、大気にばら撒かれ、東京はもちろん、日本中世界中に被害が及んでいく。今のところ、凄まじい事故は無かったように言われているが、原発の怖いのは構造上停止している間も完全に動きが止められない点だ。この瞬間でさえ、「停止中の原発から凄まじい放射能が漏れ出しました」というニュースが流れやしないかと気が気ではない。チェルノブイリのその後もコンクリートで事故が起きたところを塗り固めはしたが、いつ放射能が漏れ出さないとも限らないので、監視がずっと続いている。使えないものに膨大なお金をかけて監視しなければならない。そんなものに私たちはいつまで執着するのだろうか。

 更に恐ろしいのは、六ヶ所村再処理工場だ。どう考えても、あまりに非合理的だ。海や空気を徹底的に汚染する原子力発電所300基分から出る放射能を1日で出してしまうというから、驚きだ。(記憶が定かではないが、もしかしたら3000基分だったかもしれない)とにかく、トリチウムやセシウムなど恐ろしげな名前の放射能が青森や福島の海からだけではなく、既に千葉の海からも試運転の現段階で検出されている。

 原子力発電が地球温暖化を止めるかのように言われたりもするが、それはまったくのウソである。なぜウソかを理論的に延々とここに書くことは出来ないが、私には放射能がどんなに危険かを実感してきた歴史がある。とにかく、地球温暖化もあまりに怖いが、日本の原発はある意味もっと怖い。核爆弾がないことに日本はなっているが、実のところ大量の核爆弾をすぐに作れるくらいのプルトニウム(広島型原爆の40万発分)が既にあるという。地球を何十個も爆破出来るだけの量だ。

 こんな話を食事の時にしていたら、娘に酷く怒られた。「絶望感や罪悪感を振りまくような話は止めて!私たちの未来をどう思ってるの?私たちの未来に希望が持てるようにして!」まったくその通りなので言葉無くうなだれた。障がいのある無しに関係なく、環境問題はギリギリのところに来ている。この猛暑でもうちでは一度もクーラーを付けなかったし、先日レストランに友人たちと10人くらいで食べに行った時は10人分の箸を持参した。自分の家で出来ることはやれる限りやっている。次は何をしたら良いのか、皆で考えて欲しい。娘も自分で地球温暖化や環境問題を止めるための本を作ってみようかなと考え始めている。原子力情報資料室という脱原発の運動をずっとリードしてきた組織がある。原発についてもっと知りたい人は是非そちらのホームページを見て欲しい。

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2007年7月11日 (水)

対立を超えるために

7月7日に、「七夕大学習会」という、原発、特に六ヶ所村再処理工場のことを考える会に参加した。

原発の賛成派の方と、反対派の方とが、20分ずつお互いの意見を述べ合って、その後15分の討論で、時間を分けてきちんと情報を聴衆に伝えながら聞きあう、賢い方法を取った会だった。

賛成派も、エネルギーと地球の未来を考えているには違いない。
しかし、反対派の方の情報を聞けば聞くほど、原発と六ヶ所村に出来る再処理工場には未来がないということが明らかに伝わってきた。

対立を超えて、六ヶ所村再処理工場を推進している方々が冷静に理性的にこの危ない状況を考えられるにはどうしたらいいのだろう、と私は今も考え続けている。

この会を主催した主催者の一人が、わたしの大好きで信頼している在日の友人だった。
彼女にピア・カウンセリングの土台となっているRC(再評価カウンセリング)の方法を伝えたことも、この会の理性的、知性的な運営に影響を与えたと思う。

対立を超えるために、まず、「聴くということ」がポイントにあることは、明らかだ。


思えば私たちも、自立生活運動の中で「私たちのニーズは私たちが把握し、それに基づいたサービスを創るのだ」いう過程の中で、お互いのニーズをよく聴きあってきたと思う。

私が一番最初に障がいを持つ仲間たちと対等に関わり始めた時、その会のメンバーの中心は脳性まひ者の方々だった。同じく障がいを持っているとはいえ、彼らの体のニーズと、私の体のニーズが、少しずつ違っていたにもかかわらず、差別を受ける時はまったくかわらず、「排除」という差別を一緒にされ続けた。
車イスでバスに乗りたい、と思う気持ちは変わらず、しかし、「バスに乗せない」という差別は同じく受ける。
脳性まひ者の友人たちは、川崎でバス闘争を大々的に行い、何十台ものバスを止め、中にはトンカチを持ってバスのドアを叩きまくると言う男性の脳性まひ者もいた。
骨が弱い私の身体にとっては、とてもあまりに危険な行動だったから、遠巻きにして見守りながら私がしたのは、介助者つきで、時には無しで周りの通行人にお願いしながら、地道にバスや電車に乗り続けるという闘争だった。

お互いのニーズをよく聴き、体の状況を知り合った仲間たちが団結することによって、20年前には夢だと思っていたことが実現したのである。つまり、多くの駅やバスにアクセスな設備が整ってきた。もちろんまだまだ完璧ではない。しかし、わたしたちは時に立ち止まって、自分たちが実現したことを評価し、喜び合うことが必要だと思う。

対立を超えて、排除を超えて、手を繋ぎあうために、あらゆる問題を解決するには、まず「聴きあう」ことからなのだと、声を大きくして言いたい。

ところで、六ヶ所村再処理工場については、たくさんの本やインターネットでの情報が得られると思うので、ぜひ自分でも読んでみて欲しい。
テレビの電力会社のコマーシャリズムだけによっていたのでは、自分の命は守れないかもしれないという状況認識を是非もって欲しい。

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2007年5月 8日 (火)

選挙に関わるということ

2007年の3月末から4月は、選挙に関わりまくった1ヶ月だった。
小さな時から、父親の口から政治に関心を持つことの大切さを伝えられるという
幸せな育ち方をしたので、こんなに一生懸命に考えて動き回っても、苦しくは無
かった。
やりたくないことをやっていたわけではないからである。
ただ、2つの選挙に関わったのであるが、どちらも心の奥底で負けると決めてい
た。
生まれたときから障害を持っていると、正しいことが伝わらなくて当たり前とい
う中を生きてくることになる。だからこそ、負けると分かっていても、言いたい
ことを言うことの大切さをしみじみ知っているので、その為に行動した。
もちろん、無力感の伝染を避けるために、「こんなにやっても無理だよね」とは
お互いに一切言わずにきた。
一つ目の選挙で負けたことが早々に分かった時は、非常にがっかりはしたが、10
歳の娘が「皆で気持ちを聴き合おうよ」と提案してくれたので、即気持ちを吐き
出すことができた。
負けても、やれるだけのベストを尽くしたのだということに、気持ちを聴きあう
中で気づき、満足出来た。
2つ目の選挙はスタート地点で、非常にネガティブな要素がいっぱいだったので、
こちらも「勝てるかもしれない」いうことは全く思わないでいようと決断を持っ
て始めた。
選挙事務所にも近かったので、人を集めての応援をとにかくしまくったが、私自
身はアクセスが余り良くない事務所だったので、思った以上には出向かなかった。

私はアクセスが悪いからその場所にあまり行かないということは、ほとんど全く
と言っていいほどしない人間だが、この選挙事務所にはその思いを何故か珍しく
抱いてしまった。
負けたときに、とてつもなくがっかりしないための理由にしようと思っていたの
かもしれない。
とにかく、最後の日に負けるだろうと決め込んで、開票が始まる前に挨拶に出向
き、早々に帰ってきた。
そして夜の11時、勝ったのである。

私の一番最近の問題意識は、環境のことである。
自分の身体は、命が入っている最初の大切な環境なのである。
そして、この身体を取り巻く、社会という環境があり、その社会は人間社会と人
間以外の命に満ち満ちた自然環境とがある。
そのいずれもの環境を守るために、2つの選挙はとてもとても大事であった。
一勝一敗の結論でこの環境がどうなっていくのか、傍観者にのみ立たされずに済
む道は確保できた。
しかし、議会に関わらなければ、結局はその道筋を自ら閉じることにもなりかね
ない。
やれること、やりたいことはこれからもおびただしくある。

7月の参院選挙では、病と障害を持つ当事者たちがそれぞれ立候補している。
東京地方区で、HIVに感染させられながらも闘う川田龍平さん、在日韓国籍から
日本国籍に帰化して闘う、車イスの金ジョンオクさん。
それぞれの闘いに注目していきたい。

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2007年2月28日 (水)

今考えていること

私は、12年ほど前に国立市の市議会議員になろうかと考え、駅頭でそのためのチラシを撒いたことがあった。

撒いた直後のその午後に、母親が急逝した。

母親は、私が政治に出ることをずっと心配していた。

幼い時から父親がテレビのニュースに向かってさまざまに文句を言ったりコメントしたりするのを見て私は育った。

だから私は、私にとって政治がどんなに重要で、自分にも非常に関わりのあるものだということを自覚しながら障害者運動をしていた。

そうしたなか、優生保護法の撤廃を目指してエジプトのカイロの人口と開発世界会議に参加した時、時の外務大臣河野洋平氏と3、4分会話した。

その時に私が感じたことが我ながら驚く。

この人に外務大臣ができるなら、私にもできるに違いないという感覚だった。

帰って来て、周りの人に言って歩くと、母だけが顔色を変えて「そんなことを言うものではない」と私を諌めた。

母にとっては、あまりにも痛い思いをさせ続けた私が元気で世界を歩くことだけで充分で、それだけでも心配でたまらなかったのだ。

にもかかわらず、次に政治の場でいろいろな人に取り囲まれ、辛い思いや苦しい思いをするに違いないことは想像もしたくなかったのだろう。

あまりに真剣にやめてくれと言うので、内緒で国立市議会議員になろうと思ったわけだ。

その第1回目のビラ撒きの日に母は亡くなった。

今でも考えると涙が溢れてくる。

命がけで私が苦労するのを見たくないと抗議したに違いない。

昭和3年生まれの貧しく育った母にとっては、政治はお上のすることであり、市民一人ひとりが自分の手でつくっていくものでは全くなかった。

万が一にも私が政治の場に出ることになったらあまりにも辛すぎて死んだ方がましだということを実現してしまった。

母に死なれて、初めて私のやりたいことをどんな時も最終的には応援してくれた彼女がこんなにも嫌だったのかと思わざるを得なかった。

私の命を少しでも守るためだけに母はその人生を尽くしたといっても過言ではない。

その母の思いを受け止めて、私は自分が政治の場に立つことは今生ではやめようと決意した。

この抑圧的・差別的社会のなかでは、とにかく自分の命を守り生きながらえることこそが私の仕事であり使命であるのだろうと、母の亡骸を抱きながら号泣した。

その2年後に私は思いがけず母となった。

(その年に優生保護法も改定され、優生保護法という名の法律はなくなった。)

命をつないでいくという種としての仕事が現実化した。

娘は私と同じ障害を持って生まれたのである。

今私は娘にとってよい社会を、世界を残すことこそが私の仕事であると思っている。

ただし、 それは娘とたくさんの時間、空間を共有したうえでである。

だから、政治の場には私の代弁者となってくれる人たちをいっぱい送り出したい。

政治家は私たちの代弁者なのだ。

私たちがしたいと思うこと、つくろうと思うこと、実現したいと思うことを、依存するのではなく共につくっていく人として彼らはいる。

政治を自分に引き寄せて考えよう。

今もし苦しい気持ちでいるとしたら、その苦しみの少なくとも7、8割は混乱した政治から来ているのだ。

私たちは自分の人生を自分たちでつくっていけるということを決して諦めなくていい。

そのために政治があり、政治はあなたが関心を向けてくれるのを切望しているのだ。

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2007年1月23日 (火)

遺伝のこと

ふぇみんという新聞に「遺伝的障害を持つ女性たち」というタイトルで連載をしている。あと、1,2回を残すところとなった。私が代表しているCILくにたち援助為センターでも様々なサービスを提供しているが、遺伝的障害を持つ人はそれほど多くはない。どちらかと言えば交通事故やスポーツ等で首から下の頚椎損傷や脳性麻痺等の遺伝的障害ではない人たちが多い。その中にあって、遺伝的障害を持つ人に対する抑圧や差別のひどさを考えて連載を始めたものなので、是非いろんな人に読んで欲しいと思っている。(ふぇみんお問い合せ事務局 〒150-0001東京都渋谷区神宮前3-31-18 電話:03-3402-3238 FAX:03-3401-3453 E-mail:femin@jca.apc.org ホームページ http://www.jca.apc.org/femin/ )

遺伝は全く人知でコントロール出来ない。ところが、ここ10数年急激に遺伝子操作や出生前診断の技術が発達してきた。

ところで、技術の発達とか科学の進歩とかは完全に疑問の余地なくいいもので、障害を持つ人の存在や変化しないことやゆっくりしたことは良くないという考えや意識を総称して優生思想と私は呼んでいる。優生思想の中では人は人としてイキイキと生きることは出来ない。その第1の特徴は命に優と劣とをつけることだ。優劣があることになれば、すぐに競争が始まる。競争がない社会を今の人たちは全く生きたことがない。いつも競争の中でひどく或いはなんとなく苦しさを感じ、病院に行ったり自殺をしたりこの社会は生きようとすることに対して過酷だ。

私は遺伝的障害を持つ人たちの存在は、人は全く競争しなくて良いと言うことを知らせているのだと確信している。生まれた時からの存在に優劣がないのだということをきちんと見定めれば、命が劣っているのではなく、サポートが必要なだけだということが解かりやすい。競争をやめ、優劣をつけることを辞めよう。ただただ、そのまんまの命(重い障害を持った人たちも全く障害のない人たちも)を抱きしめるためにどんなサービスが必要かを考えていこう。

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2007年1月 9日 (火)

新しい年の始まりに

今年は地球温暖化の影響で東京も例年とは比べ物にならないほど暖かい。

うちは皆によく「寒い、寒い」と言われるが、言われても気にならずにヒーターをほとんど使わずにいる。皆もそのうち言うのをあきらめるのか、それとも本当に暖かくて言う必要がなくなるのか、例年よりも「寒い」と言われずに過ごしている。

知り合いの知り合いから『トモダチニナルタメニ』という本をもらった。

これは20代の若者が戦火にあるアフガニスタンの子供たちに支援活動をする中でいろいろなことに気づいていく様子をさわやかに描いた本だ。一昨年に感動して読み、2年続けてそのグループが作っているカレンダーを購入した。

今年のカレンダーにはアフガニスタンの現状を知らせるチラシが入っていた。信じられないことに去年の6,7,8月に340回もの空爆がアフガニスタンに、160回の空爆がイラクになされたそうだ。平均1日2回から4回の空爆が人々の命を毎日無残に奪っているのかと思うと、心が切り裂かれる思いだ。

地球温暖化が地球の存続を不可能にしかねないこの現実のすぐ脇で、戦争が今も終わらないどころか、今年もまたイラクにアメリカが増兵するというニュースもある。

アフガニスタンにいたってはニュースにさえならないくらい見捨てられている感がある。

地球温暖化には様々な原因があるが、この戦争を止められない大国の傲慢さ、横暴さが具体的な武器と一緒にCO2爆弾となってオゾン層を破壊し、人々の命を追い詰めている。

本当にどんなに様々な理由をつけたとしても、今は戦争をやっている場合ではない。

どうしたらこの全人類、いや全生物の危機ともいえる環境破壊を止められるかを真剣に考えなければならない時期に突入しているのだ。

私は障害を持っているが故に命の強さと弱さ、逞しさと繊細さを人よりも敏感に感じる身体を持っている気がする。

今年になって、5,6,7日には強烈な頭痛に悩まされ、今は体中に痒い湿疹が出始めている。

布団に横たわりつつ、窓から外を見るとそこには青い青い空がある。

この同じ青い空に戦闘機が行き交い、その下で愛する人たちの命を日々奪われる恐怖と共に生きている人たちがいるのだと思うと、頭痛は完全には治まらない。そして環境問題の深刻さは私にもそうした状況が容易にやってくるかもしれないという不安を掻き立て、痒みはあちこちに拡大しつつある。

その上、年末には教育基本法の改悪という事態が起こってしまった。

教育が国家のものである限り、障害を持つ私たちに優生思想からの完全な自由はないと思っているので、完全な絶望はないが、それでも理念としての教育基本法は(改悪される前の)素晴らしかったのですこぶる残念ではある。

2007年、世界は環境問題の深刻さに強烈に目覚め、主体的で大胆な破滅からの回復への取り組みに向かっていく年であって欲しいと心から願っている。

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